浦上切支丹流配碑

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1969年(昭和44年)、「浦上切支丹大和郡山流配者記念碑」が教会の敷地内に建立されました。それまでは毎年11月、当地で亡くなった長崎浦上の流配者のために、ミサを墓のある郡山市内の雲幻寺で行ってきましたが、流配者の子孫の方々から、「教会の敷地に記念碑を」という要望があり移設されました。1969年(昭和44年)11月に完成したときは、古屋司教をはじめ、子孫の方々、県下の信徒たちも大勢集まって厳かな祝別式が行われました。

 JR郡山駅近くの雲幻寺の境内に、お寺には似つかわしくない十字架の印が入った墓碑が建っていました。この墓碑には、大正15年7月建立とのみ刻まれており、誰が建てたかも分からない。建立は住職の話によれば某フランス人という。「墓碑に刻まれた漢字の当て字の霊名から推測するに切支丹迫害に深い同情を寄せた外人神父に相違ない。だとすれば、流配信徒の長崎追放状況をつぶさに大浦天主堂から涙ながらに見送り続け、その後近畿一円の布教活動をされたビリオン神父と確信する。山口県萩市にある切支丹墓地もこの方の購入と管理によって現存する」(流配者の子孫である久保忠八氏が書かれた「大和郡山流配浦上切支丹史」から引用)
 1869年(明治2年)世に言う「長崎浦上四番崩れ」が起こりました。この郡山の地へも14家族86名の信徒が流され、1873年(明治6年)帰郷できるまで苦難にみちた流配生活を克服し、信仰を守り通しました。いま郡山教会に建っている墓碑はこの地で殉教死した4名の方々を祭ったもので、大和郡山市の案内書にも記載され、時折、ガイド片手に一般の方々も訪れています。